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「書道玄海社ものがたり」では、70余年にのぼる玄海社の歴史を少しずつお伝えしていこうと思います。
第二回のテーマは「書道玄海社の創設者・吉田栖堂先生の書風」です。
図1 日下部鳴鶴、松本芳翠、石井雙石 各先生方の作品と吉田栖堂先生の作品
吉田栖堂先生の書風
吉田栖堂先生の温和な書風は、「玄海」400号記念誌に掲載の条幅と松本芳翠師の日展(1959)の作品との比較から、芳翠師の書風の一面をよく受け継いでいることがわかります。
「三体千字文」によせて
吉田栖堂先生の永年の念願であった「三体千字文」(昭和50年・日貿出版社)の序文で、戦後の変動期にあって「根底をゆさぶるかと思われる程の激動期にあっても、厳然として不動のものは文字に対する心構えと、文字に対する愛情であった」とされています。
また、同書の中で金田石城氏は、栖堂書の特色として「吉田栖堂の書のライフワークは、何といっても楷書をその第一にあげなければならないであろう。昭和前期史上において、もっとも正統派といわれた松本芳翠の流れを汲んでいる。中でも骨格と用筆は抜群である、と評されているがその評価は今でも変わらない」と解説しています。
しかし、それよりも注目すべき点として、金田氏は以下のように述べています。すなわち、吉田先生の書の特徴は、芳翠流の楷書で鍛えられた骨力による結体の密度の高さに、情感のある豊かな線の表情が加わり、これを生かすためにふところを広くとるように意識されているところにあります。ここに独自の楷書を形成され、行書においても感覚的に流されることなく節度を保ち、草書においても形の上では懐素の、筆力の点では顔真卿の書風の影響を強く受けて、蔵法を用いた粘りのある線質で書かれています。
展覧会の盛況の下、表現主義、展覧会第一主義が横行し、書に対する基本的な考え方、楷・行・草の三体をしっかり書けることを職人芸として蔑視する風潮に対する警鐘として現在でも大切な指摘ではないかと思われます。

図2 吉田栖堂先生「三体千字文」の一部
昭和30年5月号の玄海展の役員リストをみますと、松本芳翠、石井雙石といった芳翠先生ゆかりの先生方の名前が栖堂先生の「玄海」への協賛の意味もあってキラ星のごとく並んでいます。

図3 昭和30年5月号掲載の玄海展役員リスト