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三上栖蘭主宰・有秀展の移動展として、神戸展が第19回展から第30回記念展(2010年2月)まで通算6回開催されました。
2010年の第30回記念展は原田の森ギャラリー東館で開催され、2009年度に銀座で開催された三上栖蘭個展の作品も併催されました。
第30回記念展のテーマは「自然との共生」で、自然についての個々の思いを現在の心境に重ねて作品を制作するという趣旨でした。
「自然との共生」は東洋古来の思想ですが、特に日本では仏教の「草木国土悉皆成仏」(あるいは「山川草木悉皆成仏」ともいいかえられていますが)という文句が知られています。
非情とされる草木や石ころまで成仏するとされ、人間を中心とする西洋文化の行き過ぎが地球環境そのものを危うくする状況の下、その行き詰まりを打開する理念の一つとして期待されています。
三上栖蘭会長の作品の一点「觀山聴泉」(甲骨文)は、里を離れて自然の中でありのままに生きる姿を中国の古文字を絵画的に配置し、薄墨を用いて表現しています。額装は明るく軽やかなものとなっています(下図参照)。
もう一つは、「水月一天香世界 冰霜千古玉精神」という細字を軸の作品とされたもの。やはり薄墨で墨色に意を使われ、扇状に下をすぼめた淡い梅鼠色の紙に書かれた作品です。
詩の意味は、“天にかかった月が水に写り漂う芳香と一体化し、冰霜の自然の厳しさが終生我が心を鍛えて玉となす”といったところでしょうか。軸装との調和がすばらしいものとなっています。
神戸展用の一つとしては、六甲山を対象に全紙サイズで書かれた作品で、「碧山青海に對す」とされました。釈文の添え書きに“六甲山を背に広がる 異国情緒あふれる港町”とあり、近代詩文調の書体で書かれ、神戸の歴史に思いを馳せる内容となっています。

三上栖蘭会長が神戸展用に書かれたもう一つの作品は、やはり全紙サイズの「能藏拙、能く拙を蔵す」で金文(一部古文)で書かれた作品です(下図)。

「能」の字の由来ははっきりしませんが、「字統」によれば水中の昆虫の象形からきたもので、のちに可能・能賢の意味に用いられるようになったといいます。「藏」の字も由来ははっきりしませんが、容庚の「金文編」(1985中華書局)によれば、酒壺をしまっておく酒蔵の象形とも思われます。「拙」は、甲骨・金文の辞書にはなく、古文(汗簡・古文四声韻)に例が見られます。「大巧は拙なるが如し」とあるように、中国では守拙・養拙は高尚な生活態度といわれ、芸術の分野でも重要な理念のひとつとされています。
恩師吉田栖堂を失い、有秀会を主宰しておよそ30年、展覧会趣向の書壇の大きなうねりの中で玄海の潮流を引き継ぎどう発展させるか、その答えの一つが第30回記念・有秀会書展に示されたと思われます。
1985年に出版された「実用細字のすすめ」(三上栖蘭著、日貿出版社)のあとがきに次のように記されています。
“小さな一字の文字を書くために、全神経を筆先に集中させて運ぶ筆の動き、ミニでなければ表せない繊細な感覚、小さな文字と文字が物語る厳しさ、明るさ、優しさなど、表現方法一つで千変万化な魅力の世界が繰り開げられます”
戦後、楷書で独自の世界を築いた松本芳翠。その門人の中でも屈指の書き手であった師・吉田栖堂の、厳しさの中に懐の深さ・温かさを秘めた玄海の書の本流をどう体現し発展させていくか、という難しい課題への答えの一つが上述の著書と思われます。
これは、専門の書家の会場芸術とは別に、一般の人が日常つかう伝統の細字筆文字の美を、その根本から理論的、技法的に著わした本格的な実用書となっています。
金田石城氏の解説にも、
“三上栖蘭さんの書は、栖堂流が骨子となっているが、そこには、女性特有のデリカシーと、適度の華麗さがよく調和している。栖堂書を空気のように日常の中でごく自然に吸収しているので、習ったとか、学んだというよりは身についたというところがある” と書かれています。
この細楷へ示された姿勢が会場芸術としての書の中でも貫かれており、第30回記念展の軸装の細字や近代詩文、あるいは古文字の甲骨・金文の現代感覚的表現の中に的確に表現されていると思われます。